プロローグ

( Prologue )

旅 プロローグ

マルチメディア関連ニュース全盛の昨今、このページは、ほのぼの路線でいってみます。

旅といえば、古くは、三蔵法師、間宮林蔵、白瀬、大谷光瑞、現代では植村直己など歴史に名を刻んだ冒険家・探検家もいれば、兼高かおるさんのように100ヶ国を優に上回る国々を旅した人もおります。

少なくとも未知であり続ける未来に向かって、冒険的精神だけは、持ち続けましょう。空想を巡らし、夢を膨らませながら。

旅を重ねてきますと、ときに珍道中を繰り広げたり、予期せぬ事にも危ない目にも出会い、更に、否応なく巻き込まれることもあります。 また、 どんな不便な地にも人間の営みがあることにはっとすることもありました。

”世にも不思議な物語”
ローマでは、金銭強奪にあったり、モロッコでは、食あたりで3日間七転八倒、また、閉所恐怖症でない筆者が余り人に勧められない場所にも2ヶ所出会いました。ギザのピラミッドの中の奥の部屋への極狭の通路トンネルと、トルコ中央部地下都市の天井と床が極端に狭くなっているところ。今思い出しても、i冷汗がたらー。  そこをくぐりぬければ、お宝にお目にかかれる部屋へ行けるとお誘いがあっても、次は行きません。 特に、洞窟の極狭の穴を探検家が通り抜けようとすると、すぐ後ろから地底人が追いかけて来る映画を見てからは 余計に。

チュニジアでは、ホモに”追っかけ”され(とほほ・・)、現地で入手した地図には鉄道マークがあったので行ってみたら、砂上の楼閣/かげろう、実際には無くて予定が狂い難儀、北欧では4日間連続夜行列車(非寝台車)強行移動、ニューヨークでは、世界的ロックスター、ロッド・ステュワートと肩を組んで歌ったり、南仏では、ある列車に乗ったら途中終点となり、やむなく下車。しかも夜中ときた上に、降りたのはたった2人、不吉なものを感じながら、向かったホテルは、同じホテル。着いてみたら、空きは、一室ダブルのみ、かくして見知らぬ人と背中合わせの一夜をおくる羽目になったり、サハラ砂漠では、ラクダを借りるのにたった数十円の高い安いの交渉 (なんせ相手はカルタゴ商人の末裔)に、大和魂こめて30分粘ってみたり(今は、こんなエネルギー皆無)、昔トルコでは、超格安ホテルで入室一番、ドイツ人の友人とマットレス南京虫チェック<でもトルコは今まで訪れた国の中で最も親日的でした>、フィリピンでは、ベストセラー推理作家の山村美沙さんと慣れないダンスをしたり、アルジェリアでは、いざ出国しようと炎天下の中、国境へ歩いていったら国境が閉鎖されていたりとか、シリアの村では、招待された民家でたった一つの電化製品の冷蔵庫を開けてくれたら、中身は薬だけだったとか、トルコからブルガリアに入国する際、長時間トランク検査(映画ミッドナイト・エクスプレスがちらっと脳裏を・・)を受けたり、近くて遠い国韓国のソウルのパゴダパークではお年寄りの質問攻め(戦争テーマ)にあったり、現在でいうセルビアでは、言葉がまったく通じず往生したり、イスラエルのある滝においては、日本古来泳法颯爽 (周りの外人から拍手が沸いたりして余計調子に乗り)と滝に向かって泳いだものの、波が来て、あらま・・我輩の唯一のメガネ滝壷へ沈む (;_;)、 カイロではエレベーターに閉じ込められる、
など等、良くも悪くも、思い出は尽きないものです。 また親日国である台湾の、台北での”世にも不思議な物語”、それは 夜に偶然乗ったタクシーのお話。行き先を告げても無言、おまけに飛ばす、更に目的地らしき所に着いても止まってくれない、えーっ!降りられない!  恐怖の館ならぬ、恐怖のタクシーのお話。未だに意味不明のタクシーでした。

そんなささやかな歴史の一コマ一コマ、綴っていこうと思います。

締めくくりの言葉: 旅の醍醐味とは、未知なるものとの出会い

そして、旅によって、心身のヒーリング + 感性のリフレッシュ


インターネット25年の歩み

インターネットなるサービスがこの世に普及し始めた頃、創った最初の記念すべき ホームページが ”旅・・・プロローグ編”です。これに 旅の解説付き写真ページが付随しておりました。その頃創ったHPは殆ど消滅しましたので、プロローグ編はある意味貴重な存在かもしれません。 思い起こせば、当時は、 PCのハードウェア環境も、ソフトウェア環境も、 通信業者の供する回線環境も、今とは雲泥の差。コストも時間も、今では信じられないくらいのエネルギーを要したものです。そんな心もとない状況の中、新たな遊び心の航海に、当時出帆したわけです。
 
タイトルロゴを考えると同時に、バックの色を何色にするか、真っ先に浮かんだのが、私の好きだった車のミニクーパーの色、よっしゃ、モスグリーンで行こう! それがスタートでした。 その後知ったのですが、偶然当時の大英博物館のHPもモスグリーンを基調としたものでした。 たかが、色というなかれ、色の3原則というのがありまして、その組み合わせで色を決めなければいけません。 そして、頭に浮かぶ色と、現実に自分のPCで再現する色とは必ずしも一致しない上、更に、PCの搭載するパーツによって、色の再現性が異なるということもあるので、やっかいなのです。そこで初めて、文章、編集レイアウトと進むわけなのですが、途中、ディスプレーに再現される映像と対峙しながら、画像をどう処理するか、ボタンをどうするか、飾り文字にするのか、ほんと、試行錯誤の連続でした。 当時廻りで誰もやってなかったので、相談できる人もいなかったからということもあります。

日夜進歩するインターネット。ネットはコンピューターを世界的に網の目のように繋ぎ、スピーディーに情報を伝達・交換するのが目的ですが、今後のネット環境の更なる整備や、普及によって、無限大に、急速に発展すると予想され、白物家電と融合することによって、益々その速度も加速される予感がします。一方、ネットの進化の過程の中で、負の部分も露呈されてきました。技術に人類が振り回され過ぎてもいけません。
アナログの良さも継承しつつ、デジタルとのバランス感覚が大切と、しみじみ思うこのごろです。

そのプロローグ編のテーマは旅、では、なぜ、旅なのか。振り返れば、幾つかのきっかけの中に、小学生のときの水平線の向こうに何があるのかという素朴な疑問、また、宝島、15少年漂流記あたりとの出会いが、最初の接点というか原点でしょうし、中学の時、ワンダーフォーゲル部に入部したのが、旅の目覚めなんでしょうねー。 そのご縁、ユートピアを夢見る、ボヘミアン♪として今に繋がっているようです(笑)