Vicenza | Valenza|Arezzo|Torre del Greco|Il Tari|White Gold |Cameo
イタリアン・ジュエリー
〜 各生産地の歴史と製品の特徴 〜
イタリアはゴールドジュエリーの生産国です。その歴史は古く、古代エトルリア時代にまで遡ることができます。高度な技術と斬新なデザインのイタリアン・ジュエリーは、2千年の伝統に裏打ちされた世界に誇るイタリアの芸術品であり文化財なのです。
イタリアのジュエリー生産地の中でも、ヴィチェンツァ、ヴァレンツァ、アレッツォ、トーレ・デル・グレコの4大生産地が特に有名です。1996年に、伝統あるナポリのゴールドジュエリー・メーカーを統合して、ナポリ近郊マルチアニーゼにオープンした生産集合体「イル・タリ」も、新しく生産地として仲間入りしました。
イタリアのジュエリー企業総数は8000社を越え、従業員総数は10万人にも及びます。また、一年間に加工されるゴールドの量は420トン、シルバーは1300トン、プラチナは3トンにもなります。
各生産地の歴史及び製品の特徴は下記の通りです。
1.ヴィチェンツァ (VICENZA)
2.ヴァレンツァ (VALENZA)
3.アレッツォ (AREZZO)
4.トーレ・デル・グレコ (TORRE DEL GRECO)
5.イル・タリ (IL TARI’)
6.「白い貴金属」ホワイトゴールドの歴史
7.トーレ・デル・グレコの「赤いゴールド」サンゴとシェル・カメオ
1.ヴィチェンツァ (VICENZA)
ヴィチェンツァは古くからの金細工の中心地で、紀元前5〜4世紀の古墳などから副葬品として繊細な技巧のゴールドジュエリーが発見されています。以来、ヴィチェンツァは「ゴールドの町」として発展してきました。14世紀には金細工組合ができ、16世紀には近隣の町も含めて金細工の一大中心地となりました。20世紀初頭には、バレストラがドイツから輸入した機械に改良を加えてマシーン・チェーンを製造し始めたことで、現在につながる繁栄を築き上げました。
現在、1000社を越える企業がこの地域で活動しており、ゴールドジュエリー生産地として世界的にもよく知られています。当地では、イタリアへ輸入される金の40%を加工し、年間150トンの製品を海外へ輸出しています。
主力のマシーン・チェーンは、種類の豊富さ・製造技術の多様さ(プレス・ホロー、プレート、エレクトロフォーミング等)で、群を抜いています。
また、ゴールドウォッチの生産でも、ヴィチェンツァは世界一を誇っています。(時計部品はスイスをはじめ世界各国へ輸出しています)。1996年初頭、メーカー数社が集まって、ヴィチェンツァ製ゴールドウォッチの組合「オーロマッチ(OROMATCH)」をつくり、「ル・トン・ドゥ・ヴィソンス (LE TEMPS DE VICENCE)」という品質保証マークを制定しました。
2.ヴァレンツァ(VALENZA)
ヴァレンツァはポー河流域の古くからの地方都市です。紀元1世紀の文献に、近辺の住民がポー河で砂金を集めていたとあるくらい、古来ゴールドとの関わりのある町です。1848年、ここに初めてジュエリー工房が開かれたのをきっかけに、ジュエリーの町として地歩を固め始めました。
ヴァレンツァの金細工は、繊細な高級ハンドメイドが特徴です。平均従業員数5人の零細企業が中心で、現在、約1200社のメーカーが活動しています。
3.アレッツォ(AREZZO)
アレッツォは、2000年前にエトルリア人が拓いた町です。近くの金山から産出されるゴールドを使って、非常に高度な技術でつくられたエトルリアのゴールドジュエリーはエトルリア滅亡後も、古代ローマ時代、ルネッサンス期などを通じて連綿と現代に受け継がれています。
現在、アレッツォのジュエリーメーカーは1200社を越え、製品ラインはハイテクノロジーによるマシーンメイドの中級価格層が主流です。
アレッツォでは、イタリアに輸入される金の35%を加工し、製品の60%が輸出されています。
4.トーレ・デル・グレコ (TORRE DEL GRECO)
トーレ・デル・グレコは、ナポリ近郊の海辺の町です。古代遺跡ポンペイとともに、ヴェスヴィオス火山麓に位置しています。幾世紀もの異民族支配を経て、15世紀頃からトーレ・デル・グレコの住民たちは漁業とサンゴ加工をもっぱらとするようになりました。19世紀初頭にはヨーロッパ各国の王・貴族層を中心に需要が急速に伸びたため、サンゴ加工も始まっています。
現在、約350の工房でサンゴ・カメオの加工に従事しており、この分野では他の追随を許さない、世界でもユニークなジュエリー生産地となっています。
5.イル・タリ (IL TARI’)
ナポリは、古代都市ポンペイの伝統を継承する金細工で知られています。そのナポリの近郊マルチアニーゼに、1996年、生産集合体「イル・タリ」が誕生しました。ゴールドジュエリー、カメオ、サンゴ、腕時計、その他関連業の約200社の中小企業が集まったヨーロッパ随一のジュエリー生産地です。集合体内には各社の工場とジュエリースクールがあり、最新のコンピューター技術を駆使したジュエリー生産に取り組んでいます。
6.「白い貴金属」 ホワイトゴールドの歴史
現在、ジュエリー業界では、イエローゴールドを凌ぐ勢いでホワイトゴールドが注目されています。すでに日本でも浸透しているホワイトゴールドですが、その源流がヨーロッパを周期的に襲う「白い貴金属」の需要と連動していることをご存じの方は少ないと思います。
ヨーロッパのジュエリー近現代史を振り返ってみますと、暖色系のイエローゴールドと寒色系の「白い貴金属」が波のように押しては返す、周期性が認められます。
この「白い貴金属」の流行と切っても切り離せないものに、ダイヤモンドの存在があります。19世紀後半に南アフリカのダイヤモンド鉱山が発見されるまで、ダイヤモンドはインド産が主流でした。しかし、このインド産ダイヤモンドは小粒で輝きも弱かったため、その輝きを補強してくれる「白い貴金属」がどうしても必要でした。
当時、「白い貴金属」と言えば、シルバーしかありませんでした。ですから、インド産ダイヤモンドのセッティング はシルバーでした。しかし、シルバーには酸化によって黒ずんでしまう弱点があります。これは輝きが生命のダイヤモンドにとって致命的な欠陥です。
ところが、19世紀後半に南アフリカのダイヤモンド鉱山が発見され、大粒で良質のダイヤモンドが産出されるようになって、パリを中心としたヨーロッパのジュエリー業界に革命的な変化をもたらしました。
南アフリカの大きな粒のダイヤモンドにはシルバーのセッティングは柔らかすぎ、より堅牢な貴金属が求められるようになったのです。イエローゴールドがそれです。南アフリカのダイヤモンドは粒が大きいだけではなく、とても美しい輝きを秘めていましたので、「白い貴金属」でなくてもその輝きを奪ってしまう心配はありませんでした。
しかし、イエロゴールドとダイヤモンドの相性は永くは続きませんでした。そうして、運命の1895年、パリのルイ・カルティエが初めて、もう一つの「白い貴金属」プラチナをダイヤモンドと結びつけたのでした。
ただ、プラチナは加工が難しい上、非常に高価な金属でしたので、身分の高い階層や富裕層だけの独占となるしかありませんでした。その代替として、ドイツのフォルツハイムで、銀と銅を割り金にホワイトゴールドが考案されたのでした。
19世紀末から20世紀初頭にかけては、パリを中心にアール・ヌーヴォーが全盛を極めました。これは動植物をモチーフにした曲線的な装飾様式の手工芸中心の芸術思潮で、この時代に求められた貴金属は暖色のイエローゴールドでした。
1920年代になるとアール・デコが盛んになり、機械技術の時代風潮に乗り、直線を基調とした力強くリズミカルな装飾芸術が流行しました。この時代に合致したのが、冷たく光るプラチナでありホワイトゴールドでした。
1940年代の暗黒の戦争時代の後、1950年代は豊かさを象徴するイエローゴールドとレッドゴールドが大いにもてはやされました。デザインはよく目立つ派手なものが中心でした。
その後、人々の生活が向上するにつれ、ダイヤモンドをふんだんに使ったジュエリーが、パリやニューヨークの華やかな社交界を席巻するようになります。ダイヤモンドの流行はすなわち「白い貴金属」の需要を意味します。しかし残念ながら、プラチナは採掘量が少なかった上に、精密産業をなどに多用されて、ジュエリー加工用には入手が困難でした。高度なプラチナ加工のできる熟練工も不足していました。
こうしたプラチナ・ブームに刺激されて、1960年代にイタリアのヴァレンツァでホワイトゴールドの製造が盛んに行われるようになりました。それが瞬く間に注目を集めるようになり、アメリカをはじめ世界のジュエリー・バイヤーたちがホワイトゴールドを求めてヴァレンツァに押し寄せました。
しかし、そのブームも次第に、エナメル加工などの流行によってイエローゴールドに巻き返されて下火となっていきます。
消滅したかのように見えたホワイトゴールドがわずかに復活したのは、1980年代後半でした。しかし、それもイエローゴールドとレッドゴールドとともに三色ゴールドの一部としてであって、ホワイトゴールドの衰退に歯止めをかけることはできませんでした。
ところが、最近iイタリアで積極的なプロモーションが展開がされるようになったプラチナジュエリーが、同じ「白い貴金属」ホワイトゴールドの再燃の火付け役となりました。今回のホワイトゴールド・ブームも、イタリアの四大生産地の一つヴァレンツァが発信地となっています。そして、真のイタリアン・モードとして、世界のジュエリートレンドをリードし続けています。
7.トーレ・デル・グレコの 「赤いゴールド」 サンゴとシェル・カメオ
サンゴおよびカメオは2千年の歴史を有する工芸です。その伝統工芸を復活させ現代の宝飾として世界に普及させたのが、ポンペイで有名なヴェスビオス火山麓にあるナポリ近郊の小さな漁村トーレ・デル・グレコです。
サンゴ
トーレ・デル・グレコは、19世紀初頭よりサンゴ加工を地場産業として栄えてきた世界で唯一のサンゴの加工地です。
サンゴ原木は、サルディニア沿岸・東シナ海などで採取されます。日本近海からも宝飾用高級サンゴが採取され、イタリアへ輸出されています。とくに日本産「血赤」サンゴやピンク・サンゴはヨーロッパでは珍重されています。
日本などから輸入されたサンゴ原木を加工したサンゴ製品は、アメリカをはじめ、日本、ヨーロッパ諸国へ再輸出されます。
カメオ
サンゴ加工業者の多くがシェル・カメオの製造も行っています。1878年に設立された「サンゴ加工専門学校」で、サンゴに彫刻を施す熟練工の養成が始まった頃、シェル・カメオの加工も開始されました。
シェル・カメオの原貝には次の3種があります。
「コルネオーラ(コーネリアン)」
東アフリカ沿岸で採集される赤い背景に薄茶の層が重なっているもの。薄茶の層に絵柄を彫る。
「サルドニコ(サードニクス)」
カリブ海で採集されるチョコレート色の背景に白い背景が重なっているもの。原貝がやや大きく、装飾用のテーブル・カメオやランプ・シェードなどにもりようされる。
「ロザリーナ」
日本ではあまり知られていないピンクの背景に白い層のもの。比較的小さいリングやイヤリング、ペンダントに利用されている。
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