月刊 ” 詩 と 思想 ” 掲載 詩を翻訳するということ

                          Poetry & Translation, by K.O. 特別寄稿文

他の人が書いた文章やメッセージを翻訳したり、様々な場面での、会話やスピーチの通訳をする際、他人の言葉を、ある言語から他の言語に変換して伝えるという事の責任の重大さを前に、なかなか開きなおれない私である。

自分の言葉を伝えるだけなら、他者の評価も自分のみに関わるもので、それは納得する以外にないのだが、翻訳・通訳となると、オリジナルの言葉を発した人への評価も多分に私に左右されると思えば、それなりに緊張も高まろうというものである。

いくら美しく拡張高い原語も、即座に美しい日本語(あるいはスペイン語)に置き換える事ができなければ全く意味が無い。そういう観点からすると、詩の翻訳は最も難しい翻訳の部類である。

詩は詩人でなければ、「詩として訳す」事はできないのではないかとさえ思うのである。例えば、ロルカの詩の一節、"A las cinco de la tarde". これを詩人である小海英二先生は、「午後の5時」と訳する。私なら、「午後5時」と単純に訳してしまうだろう。1音節の「の」があるだけで、スペイン語の「ア・ラス・シーンコ・デ・ラ・タルデ」の強烈な響きが伝わり、全然印象が違ってしまうのだから、翻訳とは恐ろしい。

私はまどみちおさんの詩がとても好きだ。そのまどさんが、1994年国際アンデルセン賞作家賞を受賞なさった。まどさんの詩はもちろん、素晴らしいのだが、この栄え在る受賞には、彼の詩集「動物たち」を、英文−英詩というべきか−に訳された美智子皇后陛下の貢献は大きかったのも事実である。まどさんのやさしさに溢れた詩とその美しい響きを全く損なうことなく、一遍一遍の美しい英語の詩として私を感動させてくれた。日本語で詩を書けない(書かない)私に、詩の翻訳は酷である。

普段から、自然を見詰つめ、自分自身の心を見詰め、物事の本質を見詰め、そして、いつも言葉そのものを慈しみ見詰めていなければ、詩の翻訳など、恐くてできっこない。

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