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スペイン胸芸の華
「セラミカ・セラ」工房
カタルーニャ・モデルニスモ
(近代技術の復興と発展)が原点
かつて アンドレ・ポスク の
「カタロニア誌」
(1618年)で、
「カタロニアには、青い海と空、木々は茂り、枝には小鳥が歌い、流れ急ぐ小川はマスやヤマメを棲まわせ、遠き山の頂きには白雪を望む・・・」と
歌われたカタルーニャの首都バルセロナ。数多くの著名な陶芸作家を育てた名高いセラ家の工房(築350年)はそこにあります。工房が設立された当時、ヨーロッパ文化の中心の1つであったバルセロナは、19世紀から20世紀初頭にかけて、カタルーニャ・モデルニスモの中心となった土地です。
工房の創設者アントニー・セラ・フィター
(1869−1932) は、
医者の子としてバルセロナに生まれ、
7歳のころから絵画に天性の才能を示しました。
22歳までに既に数多くの秀作を発表、画家として高い評価を受けるようになります。
アントニー・セラは、同世代のラモン・力サス、
サンティアゴ・ルシニョール、1O歳年下のピカソらと共に、スペイン印象派グループを結成し、その後陶芸技術を字ぶため、フランスのセーブルへ行くことになります。技術を習得後、バルセロナに帰国、金属による独特の発色を利用したした技法を編み出し、これが後のセラ家伝承技法として伝わる”金属光彩”芸術として確立されることになります。 彼の作品は、1907年のロンドン万国博覧会やバルセロナ国際芸術展などを皮切りに各国の展覧会に出品され、1932年彼がこの世を去るまで、つぎつぎに大賞を受賞します。
アントニー・セラの後継者、
次男のジョセッブ・セラ(1906−1989)は、絵画の才能に恵まれ、金属顔料で鮮やかな風景を写実的に描き、素晴らしいい、色彩作品を生み出しました。1975年には世界アーティストクラブ会員推挙され、陶芸界の巨匠と称賛されました。
セラ家の技法は現在、三代目のジヨルディ・セラ
(1942− )
に受け継がれ、神話を題材とした人物を、開発した釉薬で描き、さらにその肌を彫刻して焼きあげる独特の作品を創作しています。
三代にわたるセラ家の作品は、バルセロナのほかにミラノ、メキシコ、ジュネーブ、デュッセルドルフ、ローザンヌ、ケルンなど各地の美術館に奴められております。
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