2006年は、 日本の歴史に足跡を残した、ザビエルの生誕500周年の年。
 
ザビエル生誕500年の年に ザビエルの末裔のスペイン人冒険家が来日! 
日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルの親族の子孫(ザビエルは聖職者で子がいない)で、ザビエルの足跡を水上バイクで辿る旅をしているスペイン人冒険家、アルバロ・デ・マリチャラールさん(45)が 日本へ来ています。
ザビエルが没した、中国・香港の南にある上川島を出発。ザビエルゆかりの地を訪ねながら、東京まで約5000キロを長さ約3メートルの水上バイクでたどっているわけです。水上でときには食事や仮眠をとりながら、聞くところによるとGPSは積み込んでいたとはいえ、伴走船なしのたった一人の冒険、途中、香港、台湾、沖縄などに寄り、鹿児島、長崎を経て、東京が最終目的地とのこと。過程においては、冒険家に得てしてありがちな、お役所仕事のすり抜けなどもあったようですが、目をつぶるとしましょう。
マリチャラールさんは「スペインと日本がより緊密になるように今回の旅を企画した。ザビエルは先祖であり、自分のヒーロー。鹿児島に来るのが夢だった」と話しています。 ザビエルの15代目の子孫スペインの海洋冒険家アルバロ・マリチャラールさん、鹿児島ではザビエル縁の地を訪ね、長崎では日本二十六聖人記念館、平戸の聖フランシスコザビエル記念教会などを見学しました。
冒険と言っても、様々な冒険がありますが、 ジェットスキーで行くのも、生易しいものではないでしょう。 ジェットスキーの経験者として、結構しんどいだろうな〜と思います。また、ご存知のように、中国・台湾間の海峡は、政治的・軍事的に難しい地域でもあります。
  

  

スペイン人、
ザビエル

残したもの

 

St. Fransis Xavier
Xaviers's Landing in Kagoshima 1549
フランシスコ ザビエル 日本上陸

xavier.jpg (5648 バイト)

西洋に伝えたもの
(日本人評)
ザビエルが印度のゴアの同僚に宛てた書簡

この国の人々は、今までに発見された国民の中で最高であり、日本人より優れている人々は異教徒の間では、見つけられないでしょう。
彼らは親しみやすく、一般に善良で悪意がありません。
驚くほど名誉心が強い人々で、他の何ものよりも名誉を重んじます。
大部分の人々は貧しいのですが、武士もそうでない人々とも貧しいことを不名誉と思っていません。

ザビエルが伝えたもの
日本に伝えた西洋の生活文化

たばこ
タバコが伝えられた時期は諸説ありますが、1549年ザビエルが鹿児島に上陸したとき、従者が煙草を吸い、煙を口から吐いたのを見て、南蛮人は腹の中で火をたいていると、人々が驚いたという話が残っています。

ガラス・メガネ
ザビエルが持っていたガラスの鏡が日本で最初に入った西欧ガラスと言われています。 また、山口の大名 大内義隆に眼鏡を贈ったのが最初のメガネと言われています。

 

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